アメリカで育った帰国子女が日本社会でなぜ苦労してしまうのか

アメリカで育った帰国子女が日本社会でなぜ苦労してしまうのか

日本人_子供01私が東京で生活していた頃、アメリカ育ちの日本の人達との交流が多々ありました。いわゆる帰国子女と呼ばれる人たちです。日本語には何ら問題がなく、どこから見ても普通の日本人と全く変わらないのですが、日本に住みにくそうにしている人が多かったように思います。
それは何故なのでしょう?

アメリカ育ちの帰国子女が苦労する事のひとつに、周囲から誤解されてしまうという事があるのではないかと思います。人によっては「生意気だ、自己中心的だ、空気が読めない、話し方がきつい」などという意見もあるそうです。
この様に思われてしまいがちな事には、英語教育で育ってきた人達特有の「話し方」に理由があるのではないかと、彼らと話していて感じました。

英語で思考した文章を、そのまま日本語に直訳して会話する場合、文法や意味的には間違いはないのですが、日本社会で使うには表現が直接的すぎて無遠慮がちに聞こえてしまう事があるのです。

海外生活を経験されている方は、「日本語から英語に変換」「英語から日本語に変換」を頭の中で処理していく中で、もしかすると「日本人の考え方っぽい英語」と「アメリカ人の考え方っぽい英語」の違いにお気づきではないかと思います。あまり深く考えてはいないけど「何となくそうかも」という方もいらっしゃるのではないかと。
とは言うものの「アメリカ人の考え方っぽい英語」というのは、英語教育や文化などを理解して頂いて気付いて頂けるものだと思いますので、知らずに会話をされた方とっては、失礼な物言いをされたと誤解されてしまうケースも出てきてしまうのです。

アメリカ人_会話01ここまでお話をしていると既にご理解頂いているかと思いますが、実際話している本人としては、失礼な物言いをしてるという自覚はないですし、そのつもりもないのです。間に通訳してくれる人がいなければ、その物言いは本人の性格柄だと思われてしまいます。
これは「敬語が使えないから失礼」という問題とは全く違っていて、思考体系の違いからくるものなので、そこを分かってないとなかなか理解されません。
英語でものを考える、これは日本の思考体系とは大きく違います。


まず英語という言語は、常に主語をクリアにする言語です。主語がない文はあり得ません。常に「私は、私は、」としゃべります。そして主語の次にはすぐ「肯定か否定」かが、バシッと入ります。

主語がなくても会話が続き、最後まで聞かないと肯定か否定かわからない言語を持つ日本人にとっては、英語直訳の日本語で来られると「最初から言い方がきつい」「自分自分ばっか」と感じてしまうのも無理ない事なのかもしれません。

見た目が外国人であれば、ああ日本語が不自由だからしょうがないなで済まされることが、帰国子女にとっては単なる失礼な人と誤解されてしまうの事があるのです。
英語直訳とはいえ、話し方はなんら生粋の日本人と変わらないわけですから、ますますその性格ゆえと誤解されてしまうわけです。

英語でものを考える、これは英語で教育を受けてきたという事です。
両親が日本人で、家庭の中では日本語で育っていても、学校に通い始めれば、子供はどっぷりアメリカ文化に染まっていきます。そしてアメリカ的な思考をする様になっていきます。

アメリカの教育においては、自分を表現する、発言する、客観的に分析する、この様な能力が求められます。一方日本では、和や協調性や規則を重んじます。このあたりの違いが彼らを空気が読めない、自己中心的だと感じてしまう理由かもしれません。

またアメリカの学校では、先生の認識は「勉学と道徳を教えてくれる師」というよりは「授業を教える大人」の印象が強いです。大人として尊敬する事は求められますが、それ以上それ以下のなにものでもありません。「悩み事があれば、カウンセラーを紹介する」ということもあります。
この辺りも、アメリカの教育を受けて子供が日本の学校に戻った場合、困惑してしまうかもしれません。
先生の認識がこの様ですので、「先輩、後輩」という概念ももちろんありません。

また息子の小学校低学年の時の宿題で「この文章は事実(fact)なのか、意見(opinion)なのか)を問う問題があり驚いた事があります。日本人は、ここを最もあやふやにするからです。客観と主観、また、個と全体を分けない日本の感性とは、真逆な感性がアメリカの文化にはあります。

国際イメージはっきりときっぱりと論理的な思考を日本語にした場合、それは日本の人達にはきつく聞こえてしまうのだと思います。
そして海外育ちの日本人は、外側から自分を見つめる目を持っています。世の中には様々な価値観や文化があるのだという事を実感として知っているのです。これは、国際社会においてはとても大切な事だと思うのです。

帰国子女も、日本社会も、お互いへの理解が必要なのだと思います。
言葉が通じていても、そこは異文化交流なのです。

彼らが生活しやすい社会になった時が、本当の日本の国際化の始まりなのかもしれません。

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